麻雀放浪記
わたしは人間に興味があるせいか、小説より個人の自伝だったり、インタビューだったりが好きです。
そしてわたしは人のもつ泥臭さが大好きです。泣いて笑って喧嘩して。完璧でないところに美を見出しています。
そして時に聖人君人の人生に触れ、我が愚かさに鞭を入れます。
阿佐田哲也
麻雀放浪記の後記を読むと、著者の阿佐田哲也さんを知る人々は口を揃えて「誰にでもやさしいひとだった」「大人(だいじん)だった」と言うそうで、彼のことを悪く言う人はいなかったそうです。
では阿佐田さんが、世間でいうところの恵まれた環境に生まれ育ったかというとそうでもありません。
・東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)矢来町生まれ。祖父の色川圀士は文部官僚[1]。分家筋に衆院議員の色川三郎兵衛がいる[2]。
父親は40代の若さで退役した海軍大佐であった。武大は、父が44歳のときに初めて生まれた長男であった。父は何も仕事をせず、常に自宅におり、家族は軍人恩給で生活していた。この父親との関係は、色川文学の大きなテーマの一つとなっている。
・1945年に終戦を迎えるが、無期停学処分のままだったために進級も転校もできず、結果的に中学を中退。父親の恩給が止まったため、生活のため以後5年ほどかつぎ屋、闇屋、街頭の立ち売り、博徒などの職を転々とし、アウトローの生活へ身を投じる。
麻雀放浪記
これまでわたしは麻雀放浪記を完全なノンフィクションだと思っていましたがこれはフィクションです。でもまったくのフィクションでもない。阿佐田さんが経験を紡いでいるからこそ、この小説には血が通っている。そう思うんです。
作中には時折、麻雀の牌がでて来ますが、そこは読み飛ばしても、十分、人間ドラマの読み物として楽しめると思います。
【概要】
戦後の混乱な中、坊やこと主人公が喰って行く為に選んだ手段が麻雀であった。そして雀荘の雇われママと出会い、いかさまの手段でもある積み込みを徹底的に叩き込まれる。
【プロ】
現代の麻雀のプロと言えば、資格を持ち、例えばテレビに出たり、記事を書いたり、雀荘で代打ちをしたりといったところで、昔にくらべるとずっと市民権を得た感じがします。しかし当時のプロと言えば、趣味で麻雀をしているサラリーマンなどをカモにして、粗稼ぎをし、それで喰っていた人のことを差すといっても過言ではないと思います。
確かにアウトローな世界ですが、わたしは綺麗ごとを放つ虚栄や虚飾の世界となんら変わりないと思っています。
さて、麻雀放浪記を紹介したついでに、麻雀指南書を一緒に紹介したいと思います。
この手の本を数冊読みましたが、畑さんの本は押し付けがましくなく、且つ、勘を大事にすることを教えてくれた本です。
わたしはまだ覚えたてで、且つ現在まったく機会がないので遠ざかっていますが、それでも経験を重ねると、つい勘より経験を優先させてしまうようになり、感を疎かにしたばかりに手を遅らせてしまうということが度々ありました。
経験が人を臆病にさせる。人生と同じです。
そして麻雀の面白いところは人間性がでることです。卑しさや女々しさなどが顕著にでます。私の場合、臆病になっていたということを麻雀を始めて知り得ました。
さて、麻雀打ちは面白いことに各々が麻雀哲学というものを持っています。
麻雀放浪記の阿佐田さんも指南書を出されていますが、阿佐田さんはとにかく「ツキ」を大事にしていらっしゃいます。そして畑さんは感。お二人はご友人だそうです。
ここで小話。
畑さんは東大出の方ですが、奥さんが子供を授かった時、現実に恐れをなして、関西に逃避行したそうですwwそこで麻雀を覚えたとか。